結局おたくってなんじゃらほい

まず前提として、定義をする。

「おたく」と「ある分野に詳しい人」は何が違うのか。

それはやはり、おたくという言葉がもつ負のイメージの有無だろう。そう考えると、おたくという言葉の定義をまず踏まえなければならない。

例えば、映画にやたら詳しい人、音楽にやたら詳しい人を映画おたく、音楽おたくなんて言い方ができるが、実はそこにはあまり悪意はない。せいぜい、マニアくらいのとらえ方だろう。それに対し、アニメおたく、アイドルおたくなんてのはやはりよいイメージはない。
これは、映画や音楽が本来的にはおたくという言葉の対象ではないからなのではないか。
逆に言うと、アニメやアイドルという文化はそれ自体がおたく臭を漂わせているのであり、おたくとはつまりある特定のジャンルに対してのみ有効な言葉なのではないか。

そして、この場合、有効に機能するとは、差別語として機能することを意味しているのではないかと思う。

だからここでは、おたく=蔑称という定義で話を進める。

で、やっと本題。

おたくとは何か。あるいは上でのべた「あるジャンル」とは具体的にはどういうジャンルを指すのか。

この事を論ずる際、よく問題にあげられるのがおたくと呼ばれる人たちのコミュニケーション能力の有無や、外見(ファッション等)だろう。だが、それはおたくと呼ばれる人達に似通った現象面での特徴であり、それとおたく文化が差別視されることに直接の関連はない。

では何が問題なのか。
私は、一般人からおたく文化が蔑視される原因はは2つあると考える。
一つは、単純に、おたく文化が、エロとあまりに直接的に結びついていることだろう。アイドルしかり、美少女アニメしかりだ。
もっと直接的に言えば、おたく文化は、常にオナニーの匂いがする。
それは同人誌の大半がエロであることが端的に証明している。
そして、オナニーとは基本的に公然と差別されてしかるべきものだ。

もう一つはそのオナニーの匂いから派生していることなのだろうが、結局、おたく文化が基本的に他者を巻き込もうとか、一般人に対してその価値をみとめさせようという類のものではないことだろう。つまり、おたく文化はおたく以外をターゲットとしていないのである。
これは例えばロックが他人に対して無理矢理こコミュニケーションを取ろうとする文化である事と比較すると伝わりやすいのではないか。
また、ロック以外であっても基本的に他のどんな芸術も、自分とは違う人間(他者)に対して語りかけるのが前提となっている。他人に語りかけようとしてくるから、心を揺さぶられるのだ。
そう考えるとおたく文化がいかに歪な、特殊なものかわかると思う。

もう少しわかりやすく言うと、例えばバンドを組む人間の初期衝動は、「もてたい」だろう。これは音楽が不特定多数の他人に対して語りかける力をもっている事を端的に示している。
映画だって、絵画だって、なんだっていわゆる「おたく臭」のしない芸術は他者に語りかける事を前提に作られているのだ。
だからこそ「モテ系」なんてくくりができたりするわけだ。
それに対しておたく系はどうだ。自分、あるいはその同類にだけ伝わればいいというスタンスが基本なのではないか。
少なくとも、もてるために美少女エロ漫画を書くという行為はあり得ない。(たぶん)

だからこそそれはオナニーに直結する。同人誌とは、その意味でお互いにオナニーをしあっているようなものであり、決して、本当の意味での他者との共有を目的としていない。

人は、自分では理解できないものは往々にして差別視することで処理する。ならば、おたく文化が他者に理解を求める類のものではない以上、あるいはその文化を他者と共有しようとする姿勢をとらないことこそがおたくである以上、おたくではない人間にとって、おたくに対する差別があって当然なのだ。またいわゆるおたく達も差別されようが何されようが痛くもかゆくもないのである。なぜなら本質的に彼らのコミュニティにおたくではない人間は関係がないのだから。
おたくが好むネタに自虐ネタが多いのも構造上当然の事だと言えるだろう。

そう考えていくとおたく文化の根本とは他者を必要とせず、自分一人で全てを補完することなのではないかという推測が成り立つ。
つまりセックスではなくオナニーこそがその根本にあることこそがおたく文化を特別なものにしているのだ。
そしてここでの「他者」とは大きく言えば「社会」であり、あるいは「現実」である。
いわゆる、ひきこもりのイメージがおたくとダイレクトにつながるのもこう考えるといたって得心がいかないだろうか。

結論を言う。
オナニーがセックスの代用としてではなく、それ自体の価値を持ったこと、それがおたく文化のはじまりなのではないか。
つまり、それが誰だかしらないけれど、漫画、あるいはアニメという現実には存在しない女性で一発抜いちゃった人間こそがおたく第1号だと言えるのではないか。なぜならそれはセックスの代わりではなく、オナニーでしか体験できないものだから。
そして、そのロジックで導かれるのは、たとえ結婚していようが何を経験していようが、単なる性欲の処理ではなく、オナニーをする行為こそがおたく行為なのだという結論なのである。
(個人的にはエロゲーなんか、その最たる行為だと思う。)

だがこれは、ある意味、現代人ならば誰もが(女性はわかんないが)ある程度は抱える問題なのではないだろうか。エロアニメ、エロ本、etc・・・現代はセックスの代価としてではないオナニーをするのにあまりに素材が多すぎるのだろう。
しかし、それにおぼれてしまうことは許されない。なぜなら、人間とは、「人の間」と書く。つまり、社会(他者)と関わらなければ人間ではないのだ。

その意味で、おたくとそうでない人間を分けるのは一枚の壁ではない。おたくと一般人の間にあるのは段階的な階層である。どのラインからがおたくなのかは明確ではないが、それは人によって判断基準が違うのだろう。ただ、上で述べたおたく行為の回数が密接に関係しているのは明白なだけだ。

初めにもどる。いわゆるおたくと呼ばれる人のコミュニケーション能力の低さやファッションに対する無頓着さは異性に対してアピールする気がないという意味で非常にオナニー臭い。
これは、いま述べてきた階層論でいうと限りなくおたくよりな人に共通の現象なのだろう。
そしてオナニーとセックスどっちが人間として正しい行為なのかという生物学的な見地から見た時、やはりおたく文化とはやはり差別されてしかるべき文化なのだろうと思うのである。

ただ、まあ、だからといってそれが悪なのかと言われると、決してそうではなく、むしろそこから新しい文化がはじまっちゃってるからおもしろいのだけれども・・・。


以上、極論でした。