人間のサイクルは25時間らしいよ

ここ数日、昼前に起きて、だらだらとブランチを食って、バイトに行ったりなんかする生活を送っている。

今日も当然11時に目覚めた。いいともの手前だ。

さて、よく聴く話に、人間の体内時計は元来25時間サイクルで、ほっておいたらどんどんずれていくんだぜってのがある。
つまり、なんの制約もなく、眠くなったら寝て、起きたいときに起きるって生活を続けたら、どんどん朝方から夜型へと移行していくというのだ。

これは結構リアリティのある話で、確かに、目覚まし時計なしで朝の七時に目覚めることの出来る人間ってのはなかなか希なんじゃないかなと思う。
僕個人に限って言えば、完全自由だった学生時代なんかには、明け方に寝て夕方に起きるって一日もざらにあった。

だいたい、そういう不可思議なリズムで生きていると、そもそも一日って何かね?という話なってくるわけで。
実際、24時間の区切れから解き放たれた若い魂にとっては誰かと約束がない限り、自分のスケジュールを区切るのは、朝でも夜でもなく、己が寝るか起きるか、だけになってきたりする。


でも、今現在、ある意味学生時代以上にフリーな立場になってみると、実は夕方に目覚めるということはほとんどない。というか今のところ一度もない。せいぜい二時が限度だ。一日はちゃんと太陽の昇っている間にはじまり、沈んだら終わる。

これは、その、なんというか、人間の本来的なリズムが25時間だとして、それを制御するのが理性というものなのだとしたら、知らず知らずのうちに、自分もすっかり理性や自制心をはぐくんでいたという事なんじゃなかろうかと。そんな事を思う。

そういえばほら、もっとも理性があるはずの(というかそうであってほしい)老人なんか、完全に朝方じゃないか。昼間で寝ている老人ってのを僕は知らない。

なんだ自分も、なかなかに成長しているもんだと、ほくそ笑みながら、今日も一日無益に過ごして、現在0時30分。
無職は無職なりに、いそがしい身だったりするのだけど、無職っぽく何もせずに終わったみたいだ。

結局、理性があろうとも、それが生産性につながるわけではないという至極真っ当な結論を出したら、一日が終わっていた・・・。





と、今回のコラむんむんむんネオはいつもと違い、意識的に、エッセイ風にしてみたのは、最近読んだ佐藤正午のエッセイが至極おもしろかったからそれを真似てみたというおもしろプレイの結果だったりするのだけども、それがどれだけの人に伝わるのか、もしくはそもそもこんな文章がおもしろいのかは不明。だっふんだ。