レビュー アニーホール(ミクシーの○写し 軽くネタバレ)

ウディ・アレンってあんまり好きじゃないだろうなと思ってた。

「思ってた」っていう微妙な言い回しを使った理由は、劇中に引用される台詞「私を会員にするようなクラブには入りたくない」ってのがまあジャストでドンぴしゃでグンバツ

要するに、ウディアレンのパブリックイメージ、「インテリだけど皮肉や、それ故に自意識過剰」ってのに同族嫌悪してた感じ。嫌悪ってほどじゃないけど・・・ってか別にインテリじゃないけど・・・。
日頃から物事をななめから見過ぎると嫌みを言われる人間としては、わざわざそれを売りにした映画を見てどうすんだと思わざるを得ないわけだ。

で、この年齢になって初めて見た。

びっくりした。なめてた。ごめんなさい。・・・なめてたってのとはちょっと違うな。あれだ。忘れてたんだ、おれは。

つまり、皮肉を言うってのもうまい、下手があるってこと。世の中を斜めに見るって言ってもその斜めの角度に差が出来るってこと。

「皮肉や」ってのは一種の芸だ。皮肉を言うからにはあいてに「いてぇ」と思わせないといけない。思わせられないならただの悪口だ。

自己嫌悪の例でいうなら、単に「俺に似てるような奴はきらい」とかさっぶい事言うのは具の骨頂。そこであえて「私を会員にするようなクラブには入りたくない」ってジョークを引用できるかできないか、そこに差が生まれる。とてつもない差が。

つまりそれは笑いに似ている。おもしろいことを言うからには、あいてを笑わせないといけない。笑わせられないならただのすべった話だ。そして芸人はおもしろい芸人と、おもしろくない芸人の二種類がいる。

なんてこった。気付いたから、皮肉やってだけでウディ・アレンのキャラクターを知ったつもりになってた自分を撲殺した。金属バットで。

訂正。ウディアレンはとんでもなくレベルの高い皮肉やだった。だから、単なるひねくれものはよけいにウディアレンを見なければならない。見て、改心せねばならない。

で、この映画にはさらに、そんなハイレベルの皮肉やでも、結局純愛しちゃうってのむざむざと見せれらてしまう。だから中途半端な皮肉屋は、よけいにせつない気持ちになってしまうのでした。胸きゅん。

ラスト、別れた後なのにダイアン・キートンの髪の毛を昔と同じようになでるウディの手つきが妙にいやらしいのが哀愁。

そこに、素直に涙。

そういう意味ですごくチャーミングな映画だと思う。