9.11
「ここはどこ?」
「たぶん君の近く」
旅行先で言いたい言葉ナンバー1。こんばんわ。キャプコンです。
さて、書き出しには何の意味もなく、本日も旅行の「り」の字もない生活を送ったキャプテンですが、ほんと、なんとなくふと思った事。
マグノリアって映画、あったじゃないですか。
他にも、アメリカン・ビューティーとか、あと、AIとか、マルコビッチの穴とか。
勝手に同じテリトリーにくくったけど、これ、全部2001年9.11以前の映画なんです。
で、なおかつ、見た後、僕が「アメリカ人も難しいこと考えたいんだろなぁ」って感想を持った映画です。
要するに、結末を放棄してる感じの映画っつうか、ハッピーエンドかアンハッピーエンドかは、観客にゆだねます、みたいな。
まあ、そういう映画は別に珍しくもないんでしょうが、アメリカ製で一応単館じゃなくロードショーで上映されて、なおかつそこそこヒットしたっつうくくりであげてみました。
で、本題。
最近、あんまりこういう傾向のんってみない気がするんスよね。
いや、僕の勉強不足かもしれませんが。
・・・「最近は」っていうか、9.11以降。
それこそ、アレキサンダーでも、アビエイターでもいいんですが、あるいはもっとわかりやすいところでは、華氏911でもいいんですが、9.11以降の映画って、見た後に、監督の立場とか、考え方がなんとなくわかる気がするんですよね。
逆に以前の映画ってのはどうも混乱しているイメージ。
まあ、別にどっちがいいとか悪いって話じゃないと思うんだけども、影響って出てるんだなぁとあらためて思った昼下がり。天気は快晴。
このこと、テロに対しての群衆心理とか、ハリウッドの本質的な大衆主義とか、そういう問題で考察すると色々出てきそうなんですが、まあ、それよりもなんか、もっと本質的な問題として、アメリカ人は悩むことを止めたがっているのだろうなぁと、思ったわけです。
思っただけで、それ以上特になにもコメントがない僕にんな事言われたくないでしょうけどね。
うまくまとめられませんが、こういう、思考停止の感覚ってテロが起きるかもしれない現状では悩んでる暇なんかないだろっていうのとも少し違う気がします
「考えることに疲れた」って表現がぴったりなんじゃないかなぁ。
てか、考えてもしょうがないって感じか?
最近見たどのハリウッド映画よりもハリウッド映画っぽかった、あの世界貿易センタービルが崩れる映像(映画)が、小難しいハリウッド映画っぽくない映画を駆逐したって表現は、悪くないメタファーである気がする。
勿論、そのことの是非はしらんけどもさ。
とりあえず9.11以降、何が変わったのかっていう問題は、軍備とか、外交とかそういうのはもちろんダイレクトに出てくるんだけども、それ以外にも、うっすらともっと日常的、かつ個人的なレベルででてきてるんだろうなぁと。
そんなことを思った次第。
うーん 丸投げ!